2024年7月3日、日本銀行は新たな紙幣を発行しました。ご存知のように新1万円札の肖像は渋沢栄一です。

ただ、渋沢が紙幣の肖像になるのは実は2回目です。1度目は1902(明治35)年8月、大韓帝国でのことです。この時のお札は渋沢が頭取を務めていた第一銀行の銀行券として発行されたものです。正式名称は「株式会社第一銀行券」で、紙幣の表右側にまだ若かりし渋沢栄一の肖像を載せています。

出典:韓国銀行「韓国銀行法制定史」

渋沢栄一といえば、日本の資本主義の父であり、「論語と算盤」あるいは「道徳経済合一説」を提唱した人物として著名です。そもそも「論語と算盤=道徳経済合一説」なのですが、その根本となる考え方には次の二つがあります。

以下、これら二つの考え方を通じて、渋沢栄一が提唱した「論語と算盤=道徳経済合一説」の根本について明らかにしたいと思います。

(一)貨殖富貴を求める道は決して卑しいものではなく、道徳と経済活動は両立する。
(二)経済活動を実践するには、まず社会や人のためになるかを考え、そのあとで自分の利益について考える。

幼少時から論語を学ぶ

渋沢栄一は、天保11年庚子かのえね2月13日、西暦1840年3月16日に武蔵国血洗島、ちあらいじま現在の埼玉県深谷市血洗島で生まれ、1931(昭和6)年11月11日に91歳で天寿を全うしました。

渋沢は6歳頃から父市郎右衛門いちろうえもん(1809〜1872)の指導の下、論語をはじめとした儒教思想に親しむようになります。その後、従兄にあたる尾高惇忠(1830〜1901)に師事して漢籍の素養を深めます。

14、5歳くらいまで、読書のほか撃剣や習字などの稽古で日々を送った渋沢ですが、何分田舎のことで本の種類は限られていました。そのため親戚や知己の蔵書を片っ端から借り入れて読書にふけったといいます。

その頃までに渋沢は、四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)・五経(『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』)をはじめ『小学』『蒙求もうぎゅう』『文選もんぜん』『左伝』『史記』『漢書』『十八史略』『元明史略』、また『国史略』『日本史』『日本外史』、さらには『通俗三国志』『里見八犬伝』『俊寛島物語』などの通俗ものまで多くの本を読んでいます。

のちに渋沢が「論語と算盤=道徳経済合一説」を説く背景には、漢籍中心の読書三昧で暮らした幼少から少年時代の学問体験を見逃してはならないでしょう。

出典:Wikimedia Commons

渋沢経営論の思想的背景

その「論語と算盤」というキーワードについてです。こちらは渋沢が1927(昭和2)年に出版した著作のタイトルにもなっているものです。国会図書館のデジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp)で検索すると簡単にヒットします。ただこの語は本来、著作のタイトルというよりも、渋沢が持論とした経営論の核心ともなるべき考え方です。

そもそも孔子(BC552〜BC479)の語録を収録した『論語』は、人間の正しい生き方、人が生きる上での道とすべき道徳を示したものです。一方で算盤は何かを商って利益を得る、この経済活動を象徴した言葉といえます。

一般に経済活動と道徳は相容れないもの、相反するものと考えられがちです。例えば高い徳をそなえた人は、一般人が血眼になる金銭の獲得を、人がすべき行為としてどこかレベルが低いものにとらえがちです。これに対して利得を奉じる経済人は、人は損よりも得を優先して行動するものだと信じており、法にさえ触れなければ儲けた者の勝ちを信条にしています。

その結果、仁義道徳と貨殖富貴は相容れないものとの考えが成立します。そしてこの「道徳富貴非両立論」を流布したのが朱子学による『論語』の解釈だったと渋沢は言います。

朱子学を開いた朱子(1130〜1200)は、南宋の儒学者で論語解釈に独自の道を開きました。朱子は孔子を解釈する中で、孔子は富貴を欲し貨殖の道を目指すことを卑しい行為と捉えていると考えました。この朱子学が日本に入ると、江戸時代には官学として保護されるようになり、結果、日本でも仁義道徳は尊いものであり、富貴貨殖を卑しい行為と見る傾向が強くなりました。

しかし渋沢によると、朱子による『論語』の解釈、特に貨殖富貴に関する解釈は誤っているといいます。『論語』では、貨殖富貴を決して卑しい行為と決めつけておらず、仁義道徳と両立できるものです。渋沢はこのように主張しており、これが「論語と算盤」の思想的背景になります。この点についてもう少し詳しく説明しましょう。

出典:国立国会図書館

孔子は貨殖富貴を否定しなかった

『論語』の「里仁りじん第四」に、

子曰。富與貴。是人之所欲也。不以其道得之。不処也。貧與賤。是人之所悪也。不以其道得之。不去也。
(富とたっときとはこれ人のほっする所なり、その道をもってせずしてこれを得ればらざるなり。貧と賤とは人のにくむ所なり、その道をもってせずしてこれを得れば去らざるなり。)

その意味は「孔子が言うに、富と貴きはこれ人の欲するものだ。しかし、道理に従わずに得たのであれば、おちつくものではない。貧と賤はこれ人が憎むものだ。しかし、道理に従わずに得たのであれば、そこから立ち去ることはできない」となります。

従来この一文は、「人」の箇所を「悪人」に置き換えて、富貴は悪人の欲する所と解釈されてきました。そのため、君子は富貴に近寄らず、富貴が外から舞い込んできてもこれを避けるべきだと理解されてきました。しかし渋沢はこの句について次のように述べています。

この言葉はいかにも言裏に富貴を軽んじた所があるようにも思われますが、実は側面から説かれたもので、仔細に考えてみれば富貴をいやしんだ所は一つもありません。その主旨は富貴に淫するものをいましめられたまでで、これによって直ちに孔子は富貴を厭悪えんおしたとするのは、誤謬もまたはなはだしいと言わねばなりません。
『青淵百話 乾』P157

実際のところ、「人」の部分を素直に「一般的な人」だと解釈してみましょう。すると、「富貴は普通の人々が欲するものである」と極めて常識的な内容になります。そうすると続く句は、「正しい道に従わずに得た富貴であれば、一時的に手元にあっても長続きするものではない」と読めるでしょう。また、句の後半を見ると、「貧賤は普通の人々が憎むものだが、正しい道に従わずに得た貧賤であれば、そこから逃れることはできない」との意になって、極めて常識的な内容になります。

以上からここに示した「里仁第四」の句は、渋沢が言うように決して富貴を卑しんでいるものではありません。正道を踏まずに得た富貴は悪だと述べているわけです。

加えて「富と貴きはこれ人の欲するもの」という言葉に注目してください。孔子は富貴を何も卑しいものとして捉えていません。むしろ人々が欲するものとして肯定的に受け止めていることがわかります。道をもってせず富貴を得た時、富貴は初めて卑しいものになるわけです。この点に十分注意する必要があります。

不義の富貴は浮雲のごとし

孔子は不義による富貴、すなわち正しい道を踏んでいない富や名誉についてその弊害を断じ、それならば貧賤のほうがましだと繰り返して述べています。その一つに「述而じゅつじ第七」の次の文があります。

子日。飯疏食飲水。曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴。於我如浮雲。
(子曰く、疏食そしい水を飲み、ひじを曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中に在り。不義にして富みかつたっときは我において浮雲のごとし。)

まず前半ですが、「粗末な食べ物を食べて水を飲み、床に転がって肱を曲げ、それを枕にする。」と言っており、これは明らかに貧しい生活を描写しています。さらに、「しかしこの中に楽しみがあるものだ。むしろ、不義をもって富貴を得たとしても、それは私にとってやがて消えてなくなる浮雲のようなものだ」と孔子は言っているわけです。

 ただしこの句も従来歪曲して理解されてきました。三つ目の句にある「不義にして富みかつ貴きは」から「不義にして」を落として全体を再度解釈してみてください。「粗末な食べ物を食べて水を飲み、床に転がって肱を曲げ、それを枕にする。しかしこの中に楽しみがあるものだ。むしろ、富貴を得たとしても、それは私にとってやがて消えてなくなる浮雲のようなものだ。」となって、本来の意味とはまったく異なるものになります。それは貧賤を礼賛し富貴を蔑視する態度です。

孔子は決して貧賤を好んだのではありません。孔子の立ち位置は、正しい道をもってするならば、積極的に富貴をその手にせよというものです。しかし不義の富貴はその限りにあらずというわけです。そんな浮雲のようなものを追いかけるのならば、貧しい生活に楽しみを見つけたほうが断然ましだ。このように孔子は主張しているわけです。

利よりも義を第一に考える

以上から孔子は決して富貴を蔑んだわけでもなく、貧賤を好んだわけでもないことがわかりました。正しい道を踏んで富貴を得ることを勧めました。これが渋沢の説く「論語と算盤=道徳経済合一説」の基本的な考え方になります。これに加えてもう一つ、富貴を得るにも順序があるというのが、「論語と算盤」が主張するもう一つの柱になります。渋沢がその根拠の一つにするのが論語の次の一文です。

子曰。君子喩於義。小人喩於利。
(子曰く。君子は義にさとり、小人しょうじんは利に喩る。)

この短い句は『論語』の「里仁第四」にあるものです。渋沢はこの句を引きながら、君子は平生から常に善を意識し、万事についてそれが義に適するか否かを考え、進退や取捨を決するものであると言います。その一方で、小人すなわち修養のまだ足りない人は、その行動基準が私利私欲にある点が君子と異なっていると渋沢は言います。

渋沢はこの論語の考え方を、自分が事業を興す際の基本に据えました。その点について渋沢は次のように述べています。

ゆえに私は、事業について、これを利にさとらず義に喩るようにしています。国家に必要なる事業は利益の如何いかんを第二におき、義において興すべき事業ならばこれを興し、その株を持ち、実際に利益を上げるようにして、その事業を経営してゆくべきものだと思っています。
『論語講義』巻之二P87

事業を興す際には「利に喩らず義に喩る」。つまり、その順序とは、最初はその事業が国家にとって必要かどうかを考えます。そしてその事業が国家にとって必要だとしたら、第2ステップとしてその事業が利益を生み出すかについて考えます。つまり、それが必要かどうかその義について考え、第2に利について考えるという順序です。

渋沢のこの考え方は、まず人のためになることを実行して、そのあとで自分も富を得るようにすべきだと言います。どんなに才能豊かな人であっても、ただ独りで社会に存在しているわけではありません。その豊かな才能を、家族や友人、第三者、コミュニティ、地域、国家のために活かしてはじめて、自分自身も富を得ることができます。このような態度は、『論語』の「擁也ようや第六」にある

夫仁者己欲立而立人。己欲達而達人。
(それ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。)

と同じ精神だと渋沢は言います。

仮にこの順番を逆にすると、つまり私利私欲を先にして、結果的に世を富ましたとしても、世間からはあの人物は強欲だとか危険な人物だとか言われるようになるものです。『論語』の「里仁第四」にある「子曰。放於利而行。多怨。(利にりて行えば、怨み多し。)」、つまり「利を目的に行動すると、怨まれることが多くなる」ということです。

以上、渋沢栄一の「論語と算盤=道徳経済合一説」について解説してきました。経済活動は決して卑しいものではありません。しかし、経済活動を実践するには、まず世の中のため人のためについて考え、そのあとで自分の利益について考えるべきです。シンプルに言えば、これが渋沢栄一の提唱した「論語と算盤=道徳経済合一説」にほかなりません。

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この特集記事で紹介した内容は、拙著『渋沢栄一「経営」を語る』(FLoW)でより詳しく解説しています。本書では渋沢が残した109の語録を通じて、「論語と算盤=道徳経済合一説」の思想的背景やその核心について紹介しています。渋沢経営論についてもっと詳しく知りたいという方は是非ともご一読ください。