腕木通信──。

聞き慣れない言葉だと思いますが、これは18世紀末から19世紀半ばにかけて普及した情報通信手法のひとつです。

最初に腕木通信が開発されたのは1793年、フランスのこと。開発者はクロード・シャップという人物です。当時は電気の実用化もまだ先ですから(ヴォルタ電池の発明が1800年)、すべて人力によってまかなわれる通信方法でした。

写真はこの腕木通信に用いられた通信装置、人呼んで「腕木通信機」というものです。

この珍妙なる通信手法について書いた私の本が、朝日新聞社より「腕木通信——ナポレオンが見たインターネットの夜明け」として出版されました。以下、同書に詳しく記してある腕木通信について簡単にご紹介することにしましょう。

なお、詳しくは『腕木通信』をご覧ください。

そもそも腕木通信とは何か?

腕木通信とは、いまから約200年前の1793年、フランス革命の真っ直中、クロード・シャップ(1763〜1805/下記写真)によって開発された通信手法です。以後、フランスでは、電信ネットワークに取って代わる約60年の間に、総延長5780キロメートルの腕木通信網を整備するに至ります。

また、フランスのみならず、イギリス、プロイセン、ロシア、スペイン、ポルトガル、エジプト、アルジェリア、インド、南アメリカ、オーストラリア、アメリカと、世界各地で腕木通信網の整備が進められました。結果、その総距離は全世界で14,000キロメートル以上にも達するに至ります。


腕木通信で中心的な役割を担うのが、下の写真およびイラストに示した「腕木通信機」です。ご覧のように、建物の上に一本の柱が立っていて、その頂点に長さ4m〜4.6mの水平の腕木(これをレギュレータ<調整器>と呼ぶ)が一本、さらにそのレギュレータの両端に2m前後の腕木(これをインジケータ<指示器>と呼ぶ)が二本取り付けられています。

そして、この三本の腕木は、それぞれの始点を中心に回転し、さまざまな信号を作れるようになっています。この腕木の信号に意味をもたせて通信を行ったのが腕木通信というわけです。いわば、機械式の手旗信号、とでも考えればよいでしょう。

またイラストに示した建物の中身に注目してください。内部に腕木の形状を変更するための装置があり、通信手がこれを動かして腕木の形を変えます。この装置と上部の腕木の形が全く同じになっているのが分かると思います。つまり通信手は屋上の腕木を見ることなく、目的の形状を形成できたわけです。

 腕木通信の通信手法

腕木通信装置を一台だけ設置したのではあまり意味がありません。例えばA地点から100km離れたB地点に信号を伝えたい場合、次のような方法をとりました。

まず、A地点とB地点に腕木通信機を設置します。次に、A地点からB地点までの100kmの間に、だいたい10km間隔で同様の通信基地を整備します。そして、それぞれの通信基地に通信手が詰めます。これで準備が完了です。

では、通信の開始です。まず、A地点の通信手が腕木の形状を変化させます。この様子を隣の基地の通信手が望遠鏡で確認します。そして自分の基地の腕木も同じ形状に変えます。

同様に、それを見たさらに隣の通信基地も腕木の形状を変えます。この作業が次の通信基地、そのまた次の通信基地と、いわばバケツリレー式に送信され、最終的にゴール地点まで信号が届きます。

ちなみに現代のインターネットも、ルーターという装置を介してバケツリレー式にデータを送信しています。同様の手法がすでに腕木通信に取り入れられていたわけです。

腕木通信ネットワークの全貌

電気をまったく使わない、人力のみに頼ってバケツリレー式で信号を送信した腕木通信。しかし決してあなどることはできません。何と発祥の地フランスでは、1794年にネットワークが公式スタートしてから約60年間で、トータル約5800kmにも及ぶ腕木通信ネットワークを整備しました。

その全体像を表したのが下図のネットワークです。


さらに驚くのはそのスピードです。フランスの北西部にブレストという港町があります。パリからこのブレストにはだいたい550kmの腕木通信線が整備されていました(ネットワーク図参照)。

そして、パリから発信された腕木通信の信号は、何とものの480秒後(8分後)にブレストに届いたといいます。これを秒速に直すと1,125m/秒。音速が約330m/秒ですから、音速の3倍以上の速さで信号が駆け抜けたことになります。

ちなみに、新大阪〜東京間の新幹線の距離は552.6km。ということは、新大阪を発進した腕木通信の信号は、わずか8分後に東京に到着していることになります。200年も前にこんな通信ネットワークがあったとは、驚き以外の何者もでもありません。

腕木通信にまつわる驚きの事実

巨大な通信ネットワーク、とんでもないスピードで駆け抜ける信号——。腕木通信にはこれら以外にもまだまだ知られざる事実がたくさんあります。以下、その一部をご紹介しましょう。

●テレグラフは腕木通信を指す固有名詞だった
「テレグラフ」といえば、普通、ツー・トンの「電信」あるいは「電信機」をイメージしますよね。ところが、このテレグラフの語源を遡ると、何とクロード・シッャプが開発した腕木通信機に行き着くのです。

つまり本来テレグラフとは、腕木通信機を指す固有名詞だったのです。それが、時代が経るにしたがって意味が転化し、「テレグラフ=電信」が一般化したわけです。

●ナポレオンの勢力拡大の裏に腕機通信あり
腕木通信はフランス革命の最中に誕生しましたが、その後政権の座についたのはかのナポレオン・ボナパルトです。さて、このナポレオンも腕木通信の実力にことのほか注目しました。

そしてナポレオンは政権にいたわずか15年ほどの間に、2000kmにも及ぶ腕木通信網の拡張工事を行います。これにより、パリとヴェニスが腕木通信で結ばれることになるのですから、いやはや驚きです。

●時計職人ブレゲとの深い関係
腕時計の著名メーカーのひとつにブレゲ社がありますが、この会社を創設したのが、知る人ぞ知る天才時計職人アブラアン・ルイ・ブレゲ(1747〜1823)。そして、腕木通信の機構部の設計にはこのブレゲが協力しています。

ちなみに明治政府になって日本が最初に導入した指字電信機(別名ABC電信機)は、アブラアン・ルイ・ブレゲの孫にあたるルイ・クレメント・ブレゲが製作したものです。

●腕木通信時代にもネットワーク犯罪は存在した
ネットワーク犯罪といえばインターネットを思い浮かべる昨今ですが、すでに腕木通信時代にもネットワーク犯罪が存在しました。有名なものには、1836年に発覚した腕木通信を用いた株式詐欺事件があります。

フランスの作家アレクサンドル・デュマは、この事件をネタにしてエピソードを「モンテ・クリスト伯」に挿入しているほどです。

●腕木通信は現代通信ネットワークの起源である
現代の通信ネットワークを名乗るには、情報を伝送の「速度」「量」「広さ」の点で一定レベルをクリアしなければなりません。

この一定水準を最低レベル最初にクリアしたのが、どうやら腕木通信であるようです。したがって腕木通信は、現代通信ネットワークの起源と呼べるわけです。

電子書籍『腕木通信』について

いかがでしょう。以上に述べたように、腕木通信に対する興味は尽きません。

しかも、電信網が普及する以前にこのような巨大通信ネットワークが存在したにもかかわらず、腕木通信のことはあまり(と言うかほとんど)知られていない状況です。

さらに腕木通信についてお知りになりたい方は、是非、拙著「腕木通信——ナポレオンが見たインターネットの夜明け【改訂版】」をご覧いただけると幸いです。

【目次】
第一章 腕木通信とは何か
第二章 腕木通信の誕生
第三章 通信の方法
第四章 腕木通信の発展
第五章 電信の進展と腕木通信の衰退